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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)5666号 判決 1956年4月27日

原告 角武夫

被告 越中谷直吉

主文

被告は原告に対し金十三万円及び昭和三十年八月十五日より右完済に至る迄年五分の損害金を支払え。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

此の判決中原告勝訴の部分は、原告に於いて金三万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金十七万円及び内十一万円に対して昭和二十九年七月五日より、内金六万円に対しては昭和三十年八月十五日より右金員支払済迄夫々年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として「原告と被告とは東京都品川区西大崎二丁目一七三番地に境を接した土地を所有するものであるが、被告は原告の反対にも拘らず被告所有の土地を公道の高さと一致せしめるため、高さ十二尺乃至十五尺幅二十六尺の断面を以て境界線の土地を垂直に切り下げ、その境界線に不完全な本材による土留を施したため原告所有土地に亀裂を生じ崩壊の危険にさらされたので原告は被告に対し再三土留をコンクリートによる完全なものとすることを請求したが拒否された。原告はみずから進んで工事をするため被告所有の土地の使用方を要求したが之も拒否されたので、止むを得ず昭和二九年六月一日東京地方裁判所より工事のため被告所有地の使用を許可する旨の仮処分を得て、コンクリートによる土留を行つた。この工事のため原告は十一万円を支払い、且つ長い間土地崩壊の危険にさらされ宅地に亀裂を生じて以来右コンクリート工事をするまでの間降雨の度毎に原告の受けた心痛はひと通りのものでなく、加うるに右工事の代金を他より借用して調達したため薄給の原告が蒙つた精神的打撃は多大であつたから、右の精神的損害を賠償するための慰藉料としては金三万円が相当である。又被告が前記土留工事をした際原告の土地に棒を打込んだため原告所有土地に亀裂を生ぜしめると共に原告所有の垣根を破壊し金五千円の損害を生ぜしめた。なお原告は本件工事施行の必要上被告所有土地使用の仮処分命令を得るため弁護士を依頼しその報酬として二万五千円を支払つた。右はいずれも被告が不法に被告所有の土地を切下げたために原告が出捐しなければならなくなつたものであるから、原告はコンクリート工事費用十一万円及びその支払の翌日たる昭和二十九年十月四日より、他の損害金(弁護士報酬をも含め)六万円については本件訴状送達の翌日である昭和三十年八月十五日から完済に至る迄各年五分の割合による損害金の支払を求めるため本訴に及んだものである。」と述べた。〈立証省略〉

被告は口頭弁論期日に出頭しないので、答弁書を陳述したものとして弁論を進めたが、右答弁書によれば「原告の請求を棄却する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として「原告及び被告の所有土地が原告主張の如く隣接していること、原告が被告に対し土留工事を請求したことは認めるが、その余の事実は争う。原告所有の土地はもと被告が現所有地と併せ買取る予定であつたところ、原告の懇望によつてその買取方を承認したものであるが、原告はその際境界の土留工事に関しては一切の責任を負い被告に負担をかけないことを約束したものである。被告がその所有地を切下げたとき必要な土留工事はこれを施行したものであり且つ原告所有地に侵入して損害を及ぼしたことはない。」というにある。

理由

原告及び被告が品川区西大崎二丁目一七三番地に境を接した土地を所有していることは当事者間に争ない。

証人金牧新太郎の証言、原告本人尋問の結果及び右により真正に成立したと認められる甲第一号証乃至第三号証を綜合すると次の事実が認められる。

被告は自己所有の土地を公道の高さと一致せしめるため昭和二十九年一月末日頃原告所有土地との境界線を高さ十二尺乃至十五尺幅二十六尺の断面で垂直に切り下げたが、その際被告が施行した木材による土留は三寸五分角の杭と四分板よりたる木柵であり、しかもその上端は原告所有地の地表に届いていなかつたため、切取前に原告所有地にあつたコンクリートの土留が破壊され、二三ケ月後から右木柵土留は彎曲し初め原告所有地に幅十糎位の亀裂を生じ、梅雨期を前にして土地の崩壊と家屋の損傷をおそれた原告は人を介して被告に土留の補強方を要求したが被告はこれに応じなかつた。原告はやむなくみずから強固な土留工事を施行することを決意し、知人から工事費を借用することとして被告に対し工事のため被告所有地への立入を請求したが、被告は言葉を濁して諾否の回答をさけたため、原告は被告が立入を拒絶したものと解し、同年六月一日弁護士相見史郎を申請代理人として東京地方裁判所より土留工事のため被告所有土地の使用を許可する旨の仮処分命令(同裁判所昭和二十九年(ヨ)第三、九二四号)を得、訴外金牧新太郎に注文して右境界線に高さ八尺厚さ上部五寸下部一尺のコンクリート土留工事を行わせ、その費用として同人に対し昭和二十九年七月四日金十一万円を支払つた。

被告は、原告がその所有土地を買受けるにあたり境界線に土留工事を施す場合は原告において費用を負担する約定であつた旨主張するが、右事実を認めるに足る何等の証拠がない。

以上認定の事実に基いて原告の請求の当否を考察するに、土地所有者がその所有土地に工作物を設置し又は地形に変更を加えることはその所有権の行使として通常自由になし得るところではあるが、そのため他人に故なく損害を及ぼすことは所有権行使の正当な範囲を超え違法の行為となることもまた疑のないところである。ことに相隣接する土地につき所有権を行使する場合、一方の土地所有者は隣接地の所有権者の権利行使に必要な限度においてこれに協力する義務があると同時に、自己の所有権を行使するにつき、隣地を損傷しその他隣地の所有権行使を妨害し又は困難ならしめないように注意する義務があり、そのためには自己の所有権行使に諸種の制限を受けるものであつて、この理は相隣接関係に関する民法の諸規定により明確にして何等の疑を容れる余地がない。而して土地形状に変更を加える場合については民法第二百三十七条、第二百三十八条において、井戸、用水溜、池、地窖、水樋、構渠その他を穿つときに従うべき一定の制限を設け且つ土砂の崩壊その他隣地に生ずべき損害を妨ぐに必要な注意をなすべきことを定めている。従つて自己の所有地につきこれらの工事をなす場合に法定の制限又は注意義務に違反し隣地の所有者に損害を及ぼしたときはこれが賠償の責に任ずべきは当然である。これを本件につき考えてみるに、被告のなした切取工事はその規模において前記法条に掲げられた場合に比し遥かに大きいものであるに拘らず、同条の制限を超え境界線に密接した個所よりこれを施行したものであつて、これがため原告所有地に及ぼす土砂崩壊その他の損害の危険が重大であること明白なるにも拘らず、前記認定のような脆弱な土留工事を施しただけで、わずか二三ケ月後に原告所有地に亀裂を生じその土砂を支えるに不十分であることが明らかとなつても何ら意に介することなく、原告より補強の請求があつてもこれを無視したことは前述の注意義務に違反するものといわざるを得ない。

而して被告は右注意義務の履行としてみずからの費用により補強工事を施し原告の損害を未然に防止すべきであつたに拘らず長期にわたりこれを放任した結果原告をして遂にみずから安全な土留工事をなすことを決意し実行するに至らしめたものであるから、原告が右工事のために出捐を余義なくせられた費用は、被告の義務懈怠により原告に生じた損害として被告においてこれが賠償の責のあることは論をまたないところというべきである。従つて被告は原告が訴外金牧に支払つた工事代金十一万円を原告に弁償しなければならない。

次に、原告は被告の右切取工事以後土砂崩壊の危険を感じ度々被告にこれが補強方を請求し費用の一部負担を申出るなど交渉これ力めたが数ケ月の間被告の顧みるところとならず、その間の心痛軽からざるものがあつたことは容易に推測できるところであり、後にはみずから工事を行うため費用の調達に苦心するなど被告の前記義務懈怠により精神上多大の苦痛を受けざるを得なかつたのであるから、被告はこれを慰藉するため金一万円を支払うべきものと認めるのを相当とする。

更に、原告はみずから工事を施行するため被告所有地に入ることの許諾を求めたところ、被告はむしろこれを拒否する態度に出たため、やむなく前記仮処分命令を申請するに至つたものであつて、これを弁護士に依頼したことはその手続の性質上からみて相当の処置というべく、従つてこれに要した費用もまた前同様の損害として被告に賠償の義務がある。而してその数額につき原告の主張するところを認むべき証拠はないが、かかる案件における費用及び報酬は少なくとも金一万円を下らないのを通例とするから、この限度において被告に賠償義務があるものと認める。

最後に、被告の切取工事に際し原告所有地にあつたコンクリート製土留が破壊されたことは前認定のとおりであるが、その価額につき何等の証明がなく且つ前記のようにこれに代る強固な土留が設けられたのであるから、この部分についての原告の請求は理由がないものといわねばならない。

以上判断したとおり原告の本訴請求は、工事代金相当額の金十一万円、慰藉料金一万円及び仮処分申請事件の費用報酬額相当の金一万円以上合計金十三万円及び訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和三十年八月十五日以降支払済までの年五分の割合による損害金請求の限度において正当であるから、これを認容し、その余の請求については理由がないのでこれを棄却することゝし、訴訟費用については民事訴訟法第九二条但書に則り被告に負担せしめることとし、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 近藤完爾)

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